デザイン・コレクティブの時代
プロローグ
「従来、美術と技術の境界がなかった時代、技能をもった職人たちは集団でものをつくり、絵を描いていました。ひとりの才能あるアーティストがその個人名によって作品をつくりだしたのは、ルネサンス期の人文主義あるいは近代個人主義の所産であるといえるでしょう。孤独に苦悩し、才能の限界と闘う悲劇的なアーティスト像というのは、おそらくはそれ以前にはありえなかったペシミスティックな美学なのです。[1]」
軽妙なリズムで始まるリード文の背景には、真っ青のベタに仮面ライダーのフィギュアが二体。1991年2月号の美術手帖の特集記事「コラボレーティヴ・アート−−− 共同制作美術の時代へ [ティーム・スピリット!]」の扉ページである。リード文は続く。「近代美術史にピリオドをうって、それを笑い飛ばせ。みんなでつるんで楽しくやろう。−−−」
近代美術のドラマティックな湿り気を丸ごと乾燥機に放り投げるかのようなこのテキストによって、私のグラフィックデザイナーとしてのプランに若干の変更が生じた。その現時点での考察をここに残す。
本稿は「デザイン・コレクティブ」という言葉に対して自らがデザイン・コレクティブを運営するものとしてその言葉の輪郭を探り、意味を定義することを目指している。弛まぬマーケットでのポジション争いとデザイナー特有の悪い癖が合わさって「デザイン・コレクティブ」という言葉すらも流行り物として消費され、その「デザイン・コレクティブ」という言葉と向き合うことに対して費やした時間すらも絡め取られる前に、自らのコレクティブが今後もコレクティブを名乗って活動を続けられるように先手を打つことを目的に制作された。
その意味で、この文章は学術的に俯瞰的/客観的な視点を含んでいない。「デザイン・コレクティブ」たる活動から一歩引いた立場から読み取れる知見を期待する場合には、読むべき文章はこれではないのかもしれない。広くデザイン・マーケットの現況を見渡した上で、渦中の人間の視座として極めて狭い視野によって制作され、その動機は一貫して内向的なものである。
また本稿では「デザイン・コレクティブ」を自然発生的な現象として捉えている。すなわちコレクティブの形成が起きるプロセスを、自分たちがコレクティブを名乗ることを目指して組織を形成するのではなく、自然発生的に形成された集団の特徴を掬い取っていくとコレクティブという表現が適切になる、という流れで理解する。
ポスト才能至上主義のグラフィックデザイン
昭和期を代表するグラフィック・デザイナーであった原弘に対して美術評論家の勝見勝がつけた異名は「ブック・デザインの天皇」であった。あるいは、田中一光は原弘のことを「神様のような人」と表現した。[2]
戦後日本のグラフィック・デザイン史を辿る時浮かび上がってくるのは、優れたグラフィックは一人の天才的な人物の脳内で生成されるという、属人的な才能に対する神話である。原弘を含む著名な“天才”たち50名ほどによって創設された日本宣伝美術会(通称:日宣美)は、横尾忠則、浅葉克己らを輩出し、天才が天才の後継を指名し続けた。その権威的な構造を破壊すべく武蔵野美術大学の学生らが仕掛けた「日宣美粉砕共闘」によって日宣美は解散となるが、およそ八年後に再び結成された日宣美の後継としての要素を多分に含む業界団体であるJAGDAは、今でも年に3人のグラフィック・デザイナー個人に新人賞の名誉を与える。原弘と同時期に活躍した“天才的”グラフィック・デザイナーである亀倉雄策の名が冠された亀倉雄策賞は、受賞作品はいろいろあれど、一つの受賞作品に対して受賞者として指名されるのはいつも一人の個人である。すなわちその作品制作のプロセスにおいていかなるコラボレーションやコ・クリエーションが行われたとしても、伝統的な権威のもとでは無名化されている。この権威構造は、グラフィック・デザインの歴史は才能のある個人間の伝承によって紡がれるという構図を盤石のものとし、その足元にいる無数のアシスタント・デザイナーを「天才のフォロワー」としての地位にとどめてきた。
一方広くデザインという職能自体を見渡すと、その際限は年々広がり、かすんで見えなくなり始めている。「〜デザイナー」という新語は増え続け、あらゆる職業に到達した。「デザインとは何か」という問いを置き去りに伝播したデザイナーという肩書きはもはや職能ではなく、自分のキャラクターやイメージを装飾する言葉に近い。「人間の仕事がAIに乗っ取られる」的言説を背景にした、単純労働に対する知的生産労働という目線や焦りを、「デザイナー」というレッテルは託され始めているように感じる。あるいは、それを自覚した上でデザイナーが「デザイナー」と名乗り始めてもいる。
「デザインの領域は拡張した」というフレーズは、近年もはや疑う余地を与えられない前提になり始めているが、本当にそうだろうか。銀行員が稟議書を書いてもデザイナー、コンサル会社が経営戦略を考えてもデザイナーになるのであれば、それはデザインの領域は拡張したのではなく消滅しているのではないか。
マックス・シェラーはかつて、「道具を作り、それを使用すること」こそが人間を他の動物と区別している要素だとする人間観を「ホモ・サピエンス」に対比させて「ホモ・ファーベル」と定義したが、もはや「道具を作り、それを使用する営み」全部にデザインという言葉が当てはめられるようになったこの時代では、ホモ・ファーベルであればすなわちデザイナーとなる。デザインという言葉が死語になり、ホモ・ファーベルという単語に置き換えられる日もそう遠くないのかもしれない。
デザイン・コレクティブの始まり
グラフィック・デザイン史には数多くの破壊的イノベーションが登場するが、とりわけ現代のグラフィック・デザイナーのワークスペースの礎となったのはDTPの誕生であろう。DTPとは「デスクトップ・パブリッシング」の略であるが、最初にこの言葉が誕生したのは1985年のアメリカである。最初はPageMakerというページレイアウトを行うためのソフトウェアを販売するための、ある種キャッチコピーのような言葉であった。AppleのMacintoshはその前年の1984年1月に発表され、PostScriptの初版が発表されたのは1985年、そのPostScriptを採用したApple LaserWriterプリンターが発売したのも1985年である。
一連のDTP時代の幕開けにより、書体は特定の印刷機あるいは植字機に紐づけられる構図から解放され、リッチな書体へのアクセスは格段に容易になった。初めは「コンピュータの線は数式で表現できる、誰でも描ける線だ」などと否定的だったグラフィック・デザイナーたちも次第に、定規とペンをマウスへと持ち替えていった。そしてパソコン上でのデザイン制作を行う環境は進化し続け、Adobe Illustratorに生成AIが正式に搭載されたのが2024年である。40年近くかけて、グラフィック・デザインの制作現場はゆっくりと、しかし劇的に変化していった。この40年でグラフィック・デザインの制作スピードは格段に高速化し、またグラフィック・デザインの流通経路にインターネットが加わったことによって大量生産・大量消費の傾向が生まれ、さらにグラフィック・デザインを依頼できる最安値はどんどん下がっていった。
これらの高速化・大量生産/消費化・低廉化というキーワードは、歴史の教科書に載っていた出来事を想起させる。18世紀半ばから19世紀にイギリスで巻き起こった産業革命である。少なくとも生産効率の劇的な向上という点は共通点と言えるだろう。インターネットが加速するグラフィック表現の激しいトレンドの流行り廃れを見ると、産業革命期に起きた生産・消費の高速化が頭をよぎる。また、それに伴って起きた制作物の低廉化という点でも同じだ。もう少し深いところまで考えると、DTP以降のグラフィック・デザインの制作環境は一部あるいは全部の工程をアプリケーションやソフトウェアなどのシステムの中で行う。これらの中には、DTP以前は手作業の感覚に頼っていた工程もある。例えば「曲線を引く」という行為は、DTP以前には身体的な感覚を伴う仕事であったが、DTP以降にはソフトウェアにおけるシステムの一部となった。この「手仕事からシステムへ」の流れも、産業革命期の潮流を思い起こさせる。言わばこれまで40年の間にグラフィック・デザインの制作現場に起こった変化は、ゆったりとした産業革命の再現とも言えるだろう。
そして、産業革命の末にはアーツ・アンド・クラフツ運動があり、グラフィック・デザインのゆったり産業革命の末にはデザイン・コレクティブがあるというのが本稿の主張である。ウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフツ運動は中世のギルド的な集団制作を一つのモデルとして掲げ、それは今日のデザイン・コレクティブの勃興とも通づる点がある。作家でキュレーターの上妻世海は美術手帖2018年4月5月合併号に寄稿したテキスト『制作の共同体–––状況論から原理の追求へ』において、中世のギルドが集団制作という括りだけではなく「生活と制作の一致」「教育と継承」「組織経営」という要素をもっていたことをウィリアム・モリスがアーツ・アンド・クラフツ運動において機械化、画一化の波に抵抗する観点から賛美していたことに触れ、産業革命の末にあるアーツ・アンド・クラフツ運動がモデルとして取り上げた集団制作のあり方は、高度デジタル社会における芸術文化表現を考えるにおいて再度取り上げられるに値することを指摘している。
アーツ・アンド・クラフツ運動はアール・ヌーヴォ、バウハウスに影響を与え、個人主義的で機能主義的であるとされるモダニズムのひとつの起源であるとも言われるが、制作すら標準化されていく機械化の流れのなかで作家の固有名性をいかに確保するかを考えていた人々が、一見真逆ともとらえられる中世の集団制作システムをひとつのモデルとしていたのである。そして、情報化・AI化する現代日本においても、再度創造性や固有名性を考えるなかで、集団性や「生活と制作の一致」という視点は再度検討するに足るものと思う。[3]
ここで登場したキーワード「生活と制作の一致」は、上妻のテキストの中では中世のギルドが同じ部屋で寝食を共にしたことを指しているが、これは現代のデザイン・コレクティブにも(例え同じ部屋にメンバーが住んでいなくても)共通する特徴だ。デザインを制作する集団という観点で見た時、デザイン会社とデザイン・コレクティブとの間にある相違点は、構成員同士が信頼を築く基盤の在り方にある。前者では信頼の根拠を雇用契約書や労働基準法などの言語内のルールに置くため、そのルールを厳守するために「労働(制作)」と「生活」には明確な線引きが必要とされ、労働時間という形で管理される。労務管理は「生活」と「労働」を区分することができて初めて意味をなすため、労働法規はこの2つをいかに分割するかということに重きを置いてきた。しかし、この労務管理という作業がクリエイティブ産業の現場といかに相性が悪いかということは、広告業界やデザイン業界に身を置いている先人たちが証明してきたと言えるだろう。一方デザイン・コレクティブにおける構成員の信頼の根拠は、明文化されている言語内のルールより曖昧な別の部分にあるため、「労働(制作)」と「生活」の明確な線引きはデザイン会社ほど必要とされない。むしろ友人関係に結成の動機を持つデザイン・コレクティブの場合、構成員同士の信頼の基盤は「生活」の側にある場合もある。そのため、現代デザインの制作現場において「生活と制作の一致」を叶えるためには、デザイン・コレクティブはほとんど唯一の策になりえる。
今日におけるグラフィック・デザイン制作を行う集団としてのデザイン・コレクティブの出現は、DTPが生まれた1985年から生成AIの誕生まで約40年間続いたグラフィック・デザインのゆったり産業革命を受けた時代的な現象である。それは機械化、画一化に抵抗したアーツ・アンド・クラフツ運動の再現とも言える要素も多分に含んでいる。
デザイン・コレクティブとは何か
これまで述べた通り、デザインを集団で制作することにおいてデザイン・コレクティブという組織形成のあり方はデザイン会社ともデザイン・グループとも違い、それ以前に開発されたデザイン組織の形成方法のいずれとも過激なまでに異なっている。そして、グラフィック・デザインのゆったり産業革命への批判的運動体としてデザイン・コレクティブが機能することから、デザイン・コレクティブの時代はまもなく始まろうとしている。それに際して、ここでデザイン・コレクティブとは何かをもう一度おさらいしたい。どのような組織がデザイン・コレクティブであり、どのような組織はそうではないのだろうか。
まずは言葉から探ってみる。collective(英)の語源はラテン語のcollectivusであり、これは “com-”(一緒に)と “legere”(選ぶ、集める)から構成されている。ラテン語のlegereには「読む」という意味も含まれており、ただ単に集まっているだけではなく選択や分類の結果集っているというニュアンスを含む。その後、ラテン語のcollectivusは中世後期の1340年頃から近世初期の1611年ごろの中世フランス語に輸入され“collectif”(全員で共有する)となる。ここでラテン語のcollectivus(一緒に集まっている)から発展し、初めてshare(共有)の思想が単語の中に取り込まれた。例えば集合住宅は仏語でHabitat collectifとなる。これが英語へとつながり、collective(共同体、共有する)という単語が生まれた。
この語源を念頭に、デザイン・コレクティブを類似の概念と比較するとその言葉の輪郭が見えてくる。例えばデザイン・グループなどと用いられるgroupはその語源の系譜にイタリア語のgruppoがあり、結び目や束というニュアンスがある。そこからさらに系譜を辿ると古英語のcropp(塊)に行き着くことから、デザイン・グループは、「集う」という語源をもつデザイン・コレクティブに比べてより構成員の結束を重視していると考察できる。あるいはデザイン・ユニットなどと用いられるunitは、語源の系譜にラテン語のunus(1)があることから、その用法は“複数人”の集まりであるcollectiveに比べて、構成員一人ひとりにはスポットライトは当たらず、全体としてのまとまりや単一性を強調する。
総じて、デザイン・コレクティブの集団形成には団結を必要としない。6人が集っているデザイン集団があるとして、それがグループなら「1つのデザイン・グループ」と呼ばれ、それがユニットなら「1つのデザイン・ユニット」と呼ばれるが、それがコレクティブなら「6人のデザイン・コレクティブ」と呼ばれるべきだ。
あるいはデザイン・コレクティブとその他の集団との違いは、その言葉の意味から「共有」と「共通」の違いとも言える。現代英語におけるcollectiveという言葉の基礎的なニュアンスは「共有」である。例えば、複数人で共有されている農場のことをcollective farmと呼ぶ。デザイン・コレクティブも、その根本にあるのは依頼案件の、SNSのフォロワー数の、あるいはデザインに対する立場の「共有」である。この「共有」という考え方は、ヒエラルキー構造が無く構成員同士の立場がフラットなデザイン・コレクティブという組織だからこそ可能となる行為であり、経営オーナーが「所有」しているデザイン会社やデザイン事務所で働くスタッフ間では起こりにくいことだ。一方そのような集団では、構成員同士の「共通」に重きが置かれることが多い。利潤の獲得のために目標設定や技能レベルを共通なものにできるかという視点は、デザイン会社の採用面接の場でも重視されがちだ(そもそも、採用面接を行うデザイン・コレクティブ、というのは奇妙なことのように思える)。プロジェクトの進行プロセスやプレゼン資料のフォーマットを共通化していたり、あるいは制作に使うPCやソフトの設定を共通化しているデザイン会社も多い。
または、デザイン・コレクティブについて組織体系から探ることもできる。デザイン・コレクティブを名乗ろうとする時、その最低条件はヒエラルキーが無いことだ。信頼の根拠を雇用契約書などの言語内のルールの中に置かない、より曖昧で自然発生的な「共有する」集まりであるコレクティブは、ヒエラルキーが上のものが下のものを「所有する」構図で成り立つことはあり得ない。いわゆる徒弟制度のようなものとも一線を画している必要がある。
ここで一つ、乗り越えなければならない難点がある。それは、ヒエラルキーが無いのに利潤が発生する団体、という存在が一般的では無いことだ。これはファインアートや音楽の分野で結成したコレクティブ以上にデザイン・コレクティブが悩みやすい、制作物をもとに商取引を行う集団ならではの悩みでもある。商取引において、クライアントから制作物に対する「責任者」を求められた時、あるいは何らかの契約を結ぶにあたって「代表者」を決めなければならない時、一般的な企業ではヒエラルキーが無いことはあり得ないので、コレクティブは一瞬戸惑うこととなる。もしくは拠点を構えるときの契約者や、株式会社として登記する場合の代表取締役など、法規の中にも「ヒエラルキーが無いのに利潤が発生する団体」への用意は無い。そのため、必要に迫られてデザイン・コレクティブに「代表」を存在させた時、これはコレクティブにはヒエラルキーが無いという最低条件と矛盾するのだろうか。もし矛盾するのであれば、少なくとも現行法のもとではデザイン会社やデザイン事務所と比べて、デザイン・コレクティブの活動の幅は大きく狭まることになる。
この問題に対して有効な視点は、そのデザイン・コレクティブにおける「代表」がowner(所有者)を指すのかrole(役割)を指すのかということだ。前提として、デザイン・コレクティブをヒエラルキーのない状態で真っ当に運営するためには、構成員にそれぞれ同じ負担量のroleが課せられている必要がある。デザイン組織を運営するために必要な、営業・経理・法務・清掃などの事務的な作業負荷を、構成員はroleとして均等に割り振られていなければならない。これらの負荷量に傾斜がかかったり、あるいは実際に負担する構成員とそれを監督する構成員という構図ができたりした場合、ヒエラルキーが発生してしまっている。この作業負荷を均等に負うroleのうちの一つに「代表」があるという状態に限っては、そのデザイン・コレクティブにはヒエラルキーが発生しているとは言えない。すなわち、代表でいることの利益(フロントマンとして知名度を獲得しやすい、全体の決め事に対して最後の意思決定を下せることが多い…等)と、代表でいることの負担(各構成員の負担量が均等かどうかを常に配慮しなければならない、行政との事務手続きが多くしばしばデザインに集中できない…等)は全く同じでなければならない。これは報酬の面でもそうで、「代表」の位置についたものは、単に「代表」であるというだけで特別手当をもらってはならない(この点については、報酬をイーブンにするために構成員の側も常に自分が「代表」と同じ負担をしているのかに気を配り、足りない場合には自分から意識的に自らの負担増を提案する必要がある)。そうではなく、デザイン・コレクティブそのものが存在していることに対する利益の一切が代表に帰属してしまっている時には、そのデザイン・コレクティブの「代表」とはowner(所有者)を指してしまい、結果的にコレクティブとは言えなくなる。
デザイン・コレクティブとアート・コレクティブ
デザイン・コレクティブを名乗る集団は次々と現れる一方、自分たちが名乗っているデザイン・コレクティブとは一体何なのか、なぜ自分たちはデザイン・コレクティブと名乗るのかということについて正面から発信する集団は見当たらない。あるいは「デザイン・コレクティブ」というフレーズをGoogle scholarに打ってもCiNiiに打っても探し物は見つからない。
一方、近い意味を持つ言葉で少ないながらも先行文献が見つかるのがアート・コレクティブである。アート・コレクティブという集団形成からデザイン・コレクティブを検討すると、どのような輪郭が見えるだろうか。
東京藝術大学大学院美術研究科美術専攻先端芸術表現研究領域に在籍した梅原麻紀は自身の論文『コラボレーションとアーカイブの研究 -アーティスト・コレクティブの実践をもとに-』において、自身もアート・コレクティブに参加する身としてアイデンティティの観点からアート・コレクティブの制作について論じている。
個人としてのアイデンティティとは、社会の中で様々な変遷を経て形成されたものであり、とくに近代以降には個人の概念が人間存在に不可欠なこととして確立されてきた。フランスの哲学者ロラン・バルトが、「われわれの社会によって生み出された近代の登場人物」であると指摘するように、作品へ反映された作者の人格、すなわち「近代の登場人物」である作者が、作品と同時に語られることを記している。作者個人の人格が特定できる作品は、その人格によって芸術作品成立の可能性を秘めていると言えるのである。言い換えれば、アーティストの存在が確立することによって、生みだされる芸術作品についてもその存在が認知されてきたと考えられる。美術の分野のコラボレーションは、その認知されてきたアーティストとしての存在から一時的に逸脱しなければならない。アーティストは、コラボレーションを行う他のアーティストとの関わりによって、まずその個人の存在を問いただされ、批評されていく。グループとしてのアイデンティティが見いだせない場合は、そこで、いったん作品成立の危機が訪れる。音楽、映画、演劇、ダンスなどの分野では、作品として成立するために不可欠なものとして個人は存在し、美術の分野における個人の存在とは異なっている。むしろ、音楽等の分野におけるコラボレーションは、共同で制作することによって作品が成立する場合が多く、美術の分野で見られるようなコラボレーションによる大きなリスクなどは存在しないと考えられる。コラボレーションによる芸術創造は、様々な文化やグループの複数的アイデンティティによって、アーティストとしての個人のアイデンティティを二重に危機にさらす事にほかならない。[4]
梅原はここで、アーティストはコラボレーションを行う他のアーティストとの関係の中でその個人を批評され、さらに作品を発表したときにはグループとしてのアイデンティティを間接的に問いただされるという二重の危機に瀕する点を指摘している。では、グラフィック・デザインを制作するデザイン・コレクティブではどうだろうか。
「作者個人の人格が特定できる作品は、その人格によって芸術作品成立の可能性を秘めている」という点は、冒頭に挙げたグラフィック・デザインの属人性才能神話が必要とされてきた理由であると言える。業界団体がコラボレーターたちを無名化して一作品に対して一個人を表彰するなどの活動によって打ち立てられたグラフィック・デザインの属人性才能神話は、一つの作品の背後に一人の作者が見える、というように構図を簡略化させ、梅原が論文で指摘したような個人の存在を認知することによって作品の存在を認知するという現象が簡単に起こりやすいようにしてきた。しかし多くのグラフィック・デザインはアシスタント・デザイナーやコピー・ライター等とのコラボレーションが制作プロセスに含まれており、いわば論文中で指摘された「二重の危機」の中で制作されたものの方が割合としては多いはずである。コラボレーターたちを無名化することによってあたかも「二重の危機」は無かったかのように粉飾決算され、アイデンティティが複数的に批評されることをのらりくらりとかわし続けてきた。
一方、デザイン・コレクティブでのデザイン制作にはそのロジックは通用しない。梅原がアート・コレクティブに対して指摘したようなアイデンティティの複数次元での批評が巻き起こり、またデザイン・コレクティブが故に存在する商取引におけるクライアントという存在によってその批評性はさらに混乱の様相を呈する。デザイン・コレクティブの構成員はその制作プロセスの中で、まず他の構成員との関わりによって個人としてのアイデンティティを問いただされ批評される。加えてクライアントからは「取引相手」としてコレクティブのアイデンティティを問いただされ批評される。さらに納品後にはデザインという「商品」に対する消費者の反応によってそのコレクティブ及びその中にいる個人のクリエイティビティは問いただされ批評される。デザイン・コレクティブに参加するデザイナーは、アート・コレクティブに参加するアーティストと同じかそれ以上に、自らの個人としてのアイデンティティを複数回の危機に晒すよう迫られる。この危機こそが、デザイン・コレクティブに既存のデザイン・マーケットとの間にコントラストを作り、新しい表現を生み出す可能性を持つ理由ではないだろうか。
あるいはアーティスト/デザイナーでありライブストリーミングスタジオDOMMUNEを主宰する宇川直宏は、美術手帖2018年4月5月合併号における黒瀬陽平、松下徹・高須咲恵(SIDE CORE)との鼎談において、アート・コレクティブとデザイン・コレクティブについて以下のように言及している。
いまアート・コレクティブと言われている集合体の中心になっているのは20~30代ですよね。僕は49歳なので一〜二回り上、じつはDTP第一世代でもありますが、90年代半ばにはDTPを表現手法としたデザイン・コレクティブがたくさん生まれたんですよ。タイクーングラフィックス、エンライトメント、groovisionsとか。ただ、トレンドになったにもかかわらず、当時は自分の活動をコレクティブには発展させなかった。なぜかと言うと、屋号を象徴するのは、そのユニットを代表するひとつの「脳」なんです。身体の器官に例えると、脳はひとつだけど手足や内臓はあればあるほどいいという構造です。それはデザインのフォーマットを絞り込み、パブリックイメージを同一に保って存在意義を高めたほうが仕事を拡張しやすいから。僕自身は表現の同一性を図るなら自己完結すべきだと思って、コレクティブを選択しなかった。だからいまも消費されずフレッシュでい続けられている。つまりデザイン・コレクティブの場合、脳は1個であるべきで、身体器官は取り換えが可能である。いっぽうでアート・コレクティブを考えると、これは「魂」の領域だと思うんです。魂さえ維持できれば、脳も取り換え可能だし、複数あってもいい。アート・コレクティブを生命体だと考えるなら、カオス*ラウンジ、SIDE CORE、もちろん僕らDOMMUNEも、例えばChim↑Pomも、魂はひとつで、身体器官や脳は取り換え可能という集会異体が僕のイメージです。つまり、デザイナーは魂を売っても許されるけど、アーティストは許されない。[5]
矢継ぎ早に登場する脳、手足、内臓、魂という比喩について整理したい。順を追って読み解くと、宇川はまずデザイン・コレクティブにおける「屋号」を「ひとつの脳」と喩えた。その後、デザイン・コレクティブの構成員同士が作る構造を「脳はひとつだけど手足や内臓はあればあるほどいいという構造」と喩える。では「脳」が指すものとは何か。その単語が指すところは、その後の「それはデザインのフォーマットを絞り込み、パブリックイメージを同一に保って存在意義を高めたほうが仕事を拡張しやすいから。」から分かるようにアウトプットに関する言及である。つまり、言わば手グセも足グセも手足そのものが勝手に動いてできるのではなく脳から骨髄を伝って送られる電流によって作られるように、デザイン・コレクティブにおけるデザインのフォーマットやパブリックイメージなどのアウトプットも、一つの屋号につき一つの「脳」によって作られるものだと主張する。
しかし、それでもなお宇川が言う「脳」とは何かの謎は残る。例えば、「脳」をアートディレクターに、「あればあるほどいい手足や内臓」をアシスタント・デザイナーに読み替えれば、大変すんなり理解できる。続く「パブリックイメージを同一に保って存在意義を高めたほうが仕事を拡張しやすい」の部分は、冒頭に挙げたグラフィック・デザインの属人性才能神話が今日までずっと続いた理由と重なる。しかし、これでは「脳」と「手足や内臓」の間にはヒエラルキーがあり、その集団はコレクティブとは言えない。
あるいは、ここで言う「脳」とは特定の個人を指さず、まるでSF世界の脳のようにホルマリン液にぷかぷか浮かんでいるだけの概念であり、コレクティブの構成員たちは皆平等にその脳に接続された手足でしかないという説もある。これであれば「構成員同士にヒエラルキーが存在しない」という部分はクリアできるが、果たしてそんな集団はあるのか。表現スタイルの源泉がどの構成員にも無く、みんなが共通して接続されている高次の概念であるという状況は考えにくい。少なくとも名前が挙がったタイクーングラフィックス、エンライトメント、groovisionsの3組がそれに該当するのかは怪しい。
宇川の言及から、あるべきデザイン・コレクティブの姿をアート・コレクティブの存在を通して考察すると、「生存戦略のために集まったデザイン・コレクティブは成功しない」という本質が見えてくる。実際、宇川の「デザインのフォーマットを絞り込み、パブリックイメージを同一に保って存在意義を高めたほうが仕事を拡張しやすい」という指摘は鋭いと認めざるを得ない。これこそが、グラフィック・デザインの属人性神話が続いた理由であり、ヒエラルキー構造の中でデザインを作ることが理にかなっている証拠であり、そして生存戦略としてもっとも正しい選択なのだ。確かにデザイン・コレクティブとして集団化すること自体にも、複数人で活動することでSNS上での盛り上がりを偽装しやすかったり、あるいは高額な機材を共同で購入できたり、生存戦略としての利点もある。しかし生存戦略としての集団化を突き詰めると、結局はヒエラルキー構造を作って「デザインのフォーマットやパブリックイメージの源泉」を作り、その源泉たる人物ができるだけ売れそうな表現スタイルを追求し、残りの人物は手足として動き続け、デザイン集団としての市場価値を高めて効率化していくことに帰着する。おそらくこの点が、宇川が言う「デザイナーは魂を売っても許されるけど、アーティストは許されない。」という言葉の真意であろう。
したがってデザイン・コレクティブを運営するとき、ある固定の表現スタイルを定義することは悪手となる可能性がある。表現スタイルを生み出す「脳」が構成員の数だけあることを認め、受け入れ、その上で営業する努力が必要である。そして宇川が言う「魂」を用意することも必要だ。「魂」というのもまた比喩であるが、魂が無いデザイナーとは本稿においては冒頭で挙げた『「デザインとは何か」という自省が全く行われないまま市場での勢力拡大のみを目的とした“デザイナー”が主導権を握った先にある、「何でも屋さん」としてのみのデザイナー』が近いと言えるのではないだろうか。自らの損得を起点に生存戦略として組織構成を捉えるのではなく、宇川が言う「魂」のような、より創作活動における根本的なアイデンティティの共有を起点としてデザイン・コレクティブの組織形成は捉えるべきである。
アート・コレクティブとデザイン・コレクティブは、対立する概念ではない。考えるべきことは、一方が「コレクティブ」という言葉を自己批評なく使うことによって、他方の文化が正当に発展する可能性を塞いでしまうことだ。共同制作のあり方としてのコレクティブという概念をシェアーし合っている認識が、あらゆるコレクティブに必要である。
理想のデザイン・コレクティブ
私が主宰するデザイン・コレクティブは、自らを「前衛」「非言語」「感じ良さ」という3つの価値観を共有することにのみアイデンティティを持つと位置付ける。
「非言語」とは、デザイン・コレクティブとしての組織形成の根幹を指すようなものだ。雇用契約書や労働基準法など言語内のルールの中に信頼の根拠を置かず、よりゆるやかで曖昧な非言語領域で結びつくことで、寝食を共にせずとも「生活と制作の一致」を可能とし、ウィリアム・モリスがアーツ・アンド・クラフツ運動で取り上げた中世の集団制作システムとも通づるような作用をDTP以降起こったグラフィック・デザインのゆったり産業革命に対して起こす。そして「非言語」への眼差しは制作物に対しても、どれだけ論理的に正しかったとしても最後は視覚表現として面白いかを考える姿勢として反映される。自らのデザインがマーケットで流通するにあたって、クライアントへの言葉巧みなレトリックを最優先しないという観点は、先の鼎談で宇川が言った「デザイナーは魂を売っても許される」への予防とも言える。
では、「前衛」と「感じ良さ」とは何か。多くの人が想像するように、「前衛」という単語は、コレクティブという言葉が登場する以前の美術運動で盛んに取り上げられた単語である。戦後日本の美術運動は旧来的な表現に対する「前衛」こそが現代美術だと位置付け、あるいはそれに社会運動を重ねた。
その後前衛が挫折し、イデオロギー型の集団も嫌われ始めた今、再び私がコレクティブに「前衛」を掲げるのは、それが対峙するものから目を背けないことの宣誓である。前衛を名乗るためにはまず、その前衛が何に対する対峙であり破壊なのかを設定する必要がある。私はそれを昨日までのデザインに設定し、「究極の今日」として理想のデザイン・コレクティブをつくりたい。
昨日まで行われていた、業界のヒエラルキーへの過剰な興味が生んだ歪なクリエイティブ業界の政治も、それはデザインなのかアートなのかと言って界隈の線引きにこだわり続け自らの身の安全を確保する生存戦略も、セルフブランディングと社会からの承認への焦りが生んだキメラも、今日からはもう無い。ここではもう求められない。あるのはただ、表現としてのデザインと、表現としてのデザインを制作するという目的を共有できる人達だ。
そして、前衛とは単に奇抜な一発芸ではないという戒めとして「感じ良さ」がある。作品を望む人の気持ちを汲み取って制作をし、昨日まで積み上げられてきた文化に対する幼稚な拗ね方だけで前衛を名乗らないという戒めである。
まず旧来と対峙する姿勢である「前衛」、それを達成するための方法としての「非言語」、デザインという商品で対価を受け取るということに対して誠実であり続けるという「感じ良さ」。これが、私が夢見た理想のデザイン・コレクティブであった。
これらの態度を共有することは、マーケットにおける生存戦略として見るとあまり優秀なストラテジーではないかもしれない。少なくとも、最短時間で最大の資本や名誉を集めることができるプランではないだろう。であるから、これらの態度を共有し続け、その思想の純度を高めるにはマーケットの原理といかに適切な距離を保つかが肝心だ。
コレクティブは制度化された集団ではないため、その組織構造はチームやユニットに比べて脆く弱い。外部からの悪意に対しても無防備だ。であるから、構成員同士が共有しているものを守るために、業界団体やいわゆるデザイナー界隈のようなものとも一線を引いて関わっていく必要がある。いわば、共有しているものの純度を上げるためには構成員同士が「みんなで孤立」していなければならない。そうしてコレクティブの外とコレクティブの中で美学が狂っていく現象にこそ、集団制作の希望がある。
そして最後に、コレクティブとは本質的に気持ち悪いものであるべきだ。言語内のルールや資本のやり取りなど他者から見てもはっきりと読める・分かる所に信頼の根拠を置かないのだから、はたから見たら「何で集っているのかよくわからない人たち」こそコレクティブだ。それを時間をかけて証明できたとき、コレクティブとして一つの成功と言えるかもしれない。
デザインとは何か
最後に、「デザインとは何か」という問いに答えて本稿を終えようと思う。
人が持つ感覚のすべてが、言語と一対一対応しているわけではない。例えば見晴らしの良い高原でそよ風に吹かれたとして、人は「気持ちいい」以上の何かを感じている。それはまだこの世の単語には無い感情で、誰かに共有できない感覚だ。
それでもなお、この風の気分を誰かに共有したいと考えた時、やはり言葉で向き合ったのが小説家であり、メロディーを探ったのが音楽家であり、そういった方針の一つとしてデザインを選んだ人もいた。機能も作用もハウツーも、違う惑星の概念であった。
隣で風に吹かれている人ではなく、風そのものにもっと興味を向けるべきだ。デザインは自己表現である。
[2] 「第92回企画展 日本グラフィックデザインの曙光 原弘」(島田市博物館、2023年)
[3] 「制作の共同体–––状況論から原理の追求へ」『美術手帖』2018年4月5月合併号(74頁)
[4] 梅原麻紀. コラボレーションとアーカイブの研究 -アーティスト・コレクティブの実践をもとに-. 2016, p.6
[5] 「コレクティブはどこへ向かうのか?」『美術手帖』2018年4月5月合併号(66頁)