250710 返信 @_baku89
ありがとうございます!…
— 麦 ⌇Baku (@_baku89) July 9, 2025
こちらのスレッドへの返信。特に客観的なデータや指標は含まれず、お気持ちベースの感想文です。
前提
望月さんのおっしゃる「界隈」とは、例えばどのようなものを想定されているのでしょうか。そして、そこからどのように「越境」できて、その結果どんなものを得られたのでしょうか。こういったディスカッションは、できるだけ具体に根ざしていったほうが良いように感じています。
「たしかに。」と思ったので、以下の返信における各単語の定義から始めてみることにします。
- 「界隈」とは
- 「概ね同じような文化を好む傾向にある人々」「InstagramのFFがめちゃくちゃたくさん被っている」「いつメン」など言いようは色々あるが、ディスカッションを進めるには少々ニュアンス頼り
- 「心理的な安心感を担保された人付き合い」「自己ホメオスタシスの深刻な危機に瀕する不安なくコ・クリエーションを行える仲間の群」みたいな言い方も一部的を得てはいるが、同じ界隈の人との制作でも24時間リラックスできるわけではないだろう
- ひとまず「共通の知り合いがたくさんいる間柄で、かつ同じようなものが好きな人たち」のことを「界隈」とします
- 「越境」とは
- 制作物が、制作者・関係者がいる「界隈」の外にいる人の目に触れたことを指します
- その真逆が「東京TDC展のメインビジュアルが翌年の東京TDCに入選する」みたいな、論理的に筋は通っているけど、なんとなく「ん?」となる現象です
- 制作物が、制作者・関係者がいる「界隈」の外にいる人の目に触れたことを指します
- 「その結果どんなものを得られた」のか
- 金、ですがここは後述します
気持ちの面
ただ、もっと気持ちの面で、あの書き方が彼ら彼女らにどう刺さっているのか、作り手としてどう気持ちを乗せているのか、それとも割り切っているのか、気になって仕方がないのです。
そして僕の観測域の中では、なんとなくWebサイトに載っているコピーと実際にお会いした際の会社の雰囲気には相関関係があるように感じますし、あるいは載っているコピーのような会社にしようと取り組んでいる感じもします。
ああいった企業サイトのコピーライティングは、意味伝達において機能をもったものではなく、広告やWeb業界内で相互参照を繰り返すうちに、そうしたトンマナとして形骸化したものに過ぎないのではないでしょうか。
これは「ああいった企業サイトのコピーライティング」が指すもののうち極一部の話で、形骸化した義務プレイではないと考えています。
運動会の選手宣誓、あるいは市民センターの体育館にバスケ部が掲げる「必勝!」みたいに、意味を追うより風情を楽しんでいるパターンもたしかにある気がしますが、それも形骸化とまではいかないんじゃないかと。
自然と不自然
いわゆる「クリエイティブ業界」の言葉に対する扱いの雑さ
これは全く同意です。僕が今年の3月に発表した卒業制作のテキスト デザイン・コレクティブの時代 も、デザイン・コレクティブを主宰する立場として、いわゆる「クリエイティブ業界」の人々が何も自己言及や自己批判をせずに流行り言葉としてコレクティブという言葉を消費することへの警戒感があってのことでした。
リニューアルされた雑誌「広告」について、僕はウェブサイトの世界観がロバートの「イイダ」だとは思いませんでしたが、一方で世界が戦禍の中にあるこの時代に「領域侵犯合法化」を掲げる言語感覚の悪さには閉口しました。
「成果と事実に基づく平熱で具体的な記述を徹底する」スタイルは僕は好きで誠実だと思いますし、そのスタイルが直接「界隈」に結びつくわけではないと思います。
ただ一方で、特に僕がグラフィックデザイナーを志す大学生だった1、2年前に「これもう20代でグラフィックデザイナーとしてJAGDA界隈に入るにはターンテーブル回せるようになるかオルタナティブスペース運営するかしかなくね?」という閉塞感を感じていたときに、そうではない道を見せてくれたのは、主に橋本さんのいうところの「シャバいコピーで言語過多」なスタンスの人たちでした。それが「越境」の意味するところです。
そして冒頭に挙げた「その結果どんなものを得られたか」についてですが、越境の結果得られるものは金だと思います。大学図書館でひらいた10年ほど前のJAGDA年鑑の冒頭に、「グラフィックデザイナーは儲けられてないなぁと思った」という会長のぼやきが載っていて、夢も希望もねえなと思ったことを覚えています。そんな中で、ビジネスとしての色艶(デザインという文化が正当に発展するには非常に重要な点だと思います)を見せてくれたのも、やっぱり橋本さんのいうところの「シャバいコピーで言語過多」なスタンスの人たちでした。
別に、「シャバいコピーで言語過多」なスタンスであれば即ち越境している、ステートメントを書かない人は即ち界隈の中でスヤスヤしている、みたいな方程式を語っているわけではありません。ただ僕の短い観察日記として、そういう傾向があると思います、という話です。
最後に
どこかでお話しできたら僕も嬉しい限りです。
僕も高校時代に、放送部でテレビドキュメンタリーを作ったことがきっかけでデザイナーを目指したので……。