デザイン・コレクティブの時代
プロローグ 「従来、美術と技術の境界がなかった時代、技能をもった職人たちは集団でものをつくり、絵を描いていました。ひとりの才能あるアーティストがその個人名によって作品をつくりだしたのは、ルネサンス期の人文主義あるいは近代個人主義の所産であるといえるでしょう。孤独に苦悩し、才能の限界と闘う悲劇的なアーティスト像というのは、おそらくはそれ以前にはありえなかったペシミスティックな美学なのです。[1]」 軽妙なリズムで始まるリード文の背景には、真っ青のベタに仮面ライダーのフィギュアが二体。1991年2月号の美術手帖の特集記事「コラボレーティヴ・アート−−− 共同制作美術の時代へ [ティーム・スピリット!]」の扉ページである。リード文は続く。「近代美術史にピリオドをうって、それを笑い飛ばせ。みんなでつるんで楽しくやろう。−−−」 近代美術のドラマティックな湿り気を丸ごと乾燥機に放り投げるかのようなこのテキストによって、私のグラフィックデザイナーとしてのプランに若干の変更が生じた。その現時点での考察をここに残す。 本稿は「デザイン・コレクティブ」という言葉に対して自らがデザイン・コレクティブを運営するものとしてその言葉の輪郭を探り、意味を定義することを目指している。弛まぬマーケットでのポジション争いとデザイナー特有の悪い癖が合わさって「デザイン・コレクティブ」という言葉すらも流行り物として消費され、その「デザイン・コレクティブ」という言葉と向き合うことに対して費やした時間すらも絡め取られる前に、自らのコレクティブが今後もコレクティブを名乗って活動を続けられるように先手を打つことを目的に制作された。 その意味で、この文章は学術的に俯瞰的/客観的な視点を含んでいない。「デザイン・コレクティブ」たる活動から一歩引いた立場から読み取れる知見を期待する場合には、読むべき文章はこれではないのかもしれない。広くデザイン・マーケットの現況を見渡した上で、渦中の人間の視座として極めて狭い視野によって制作され、その動機は一貫して内向的なものである。 また本稿では「デザイン・コレクティブ」を自然発生的な現象として捉えている。すなわちコレクティブの形成が起きるプロセスを、自分たちがコレクティブを名乗ることを目指して組織を形成するのではなく、自然発生的に形成された集団の特徴を掬い取っていくとコレクティブ...